2021年度学会賞選考委員会報告

審査対象 澤井真氏(天理大学講師)著『イスラームのアダム――人間をめぐるイスラーム神秘主義の源流』(慶應義塾大学出版会 2020年12月刊)

本書は、宗教学とイスラーム学を架橋し、イスラームにおける神秘主義的人間学を明らかにしようとした意欲作である。

「序」では、「宗教」や「神秘主義」の概念を批判的に再考し、「イスラーム神秘主義」概念が誕生した学史的経緯を詳細に跡づけたうえで、アダム解釈を通したスーフィーたちの人間論という本書のテーマが提示される。第Ⅰ部は、イスラーム思想の古典期(12世紀くらいまで)におけるアダム理解・人間理解に焦点があてられる。第一章はイスラームの始原であるクルアーンとハディース、第二章は9-10世紀のスーフィーであるジュナイド、第三章は彼とほぼ同時代のクルアーン注釈学者(歴史学者としても有名)であるタバリー、第四章は11世紀に活躍したスーフィー、クシャイリーを取り上げる。イスラーム初期の人間論が、聖典クルアーンおよびその注釈とハディース、形成・確立期のスーフィズム古典理論を取り上げることでバランスよく論じられている。

第Ⅱ部は、イスラーム中世(12~17世紀くらい)にイスラーム世界を席捲したイブン・アラビー学派の神秘主義哲学を取り上げ、とくに完全人間という概念に注目しながら、神との関係において人間をどう捉えたかをたどっている。第五章は、神の自己顕現によって人間が存在論的に位置づけられることを提示する。第六章は、完全人間が地上における神の代理人であり、それゆえ完全人間論は、理想的人間論であるだけでなく、理想的統治論でもあることを示す。第七章は、神名を体現する存在としてのアダムを描く。最後の第八章では男女の等位性を論じて、現代のジェンダー論との接合にも言及する。「結」は、全体の議論を振り返るために設けられている。

本書の学術的意義は、下記の3点に集約することができよう。

まず第一に、「宗教」「神秘主義」「イスラーム神秘主義」といった概念を、研究史を丹念にたどることによって、批判的に検討していることである。宗教学とイスラーム思想研究を架橋しようとした著者の意気込みを高く評価したい。

第二に、人間学の分野において、宗教学者に広く刺激を与える貢献をなしていることが挙げられる。「アダム神話」という分析概念を提示しつつ、「人間とは何か」という根源的な問題に迫り、神秘主義的人間学を構築しようとしたものと評価できる。単にイスラーム思想研究にとどまらず、宗教学の立場に立つ著者の研究姿勢がここによく表れている。

第三に、難解なアラビア語一次資料を読み込んだ、精緻な文献学的読解がなされている点である。たとえば、タジャッリー(神の自己顕現)という術語の解釈が、初期スーフィーたちとイブン・アラビー学派のあいだでは異なるという指摘は、アラビア語文献の丹念な読み込みからのみなされうるものである。

他方、本書において不十分と見受けられる点についても、指摘しておかなければならない。

第一に、「序」で「宗教」「神秘主義」「イスラーム神秘主義」などの概念の再検討の必要性を唱えながら、著者による新しい見解が全体の検討を終えた後の「結」で示されていないことである。「結」で、「イスラームのアダムからみた人間探究は、宗教学に何を問いかけているのであろうか」と再び問いの形にするのではなく、著者なりの解答を示してもらいたかった。

第二に、「イスラームのアダム」という大きなタイトルに対して、本論の五分の三ほどを占める第Ⅱ部の議論が、イブン・アラビー学派、とくにイブン・アラビーの主著『叡智の台座』の検討に限定されていることである。この一学派の検討が、イスラームの人間論全体を語るにふさわしいかという疑念である。イブン・アラビー学派以外の叙述をより分厚くするか、さもなければ、イスラーム思想史研究におけるイブン・アラビー学派の重要性をイスラーム研究者以外の宗教学者や一般読者・知識人に対してより明示的に説明する必要があったのではないだろうか。

これらの不十分さの指摘はしかし、著者の将来の研究に対する期待の裏返しでもある。イスラーム思想研究、宗教学のみならず、日本の宗教における人間理解に関するこれからの研究にも期待したい。

以上の点から、本選考委員会は、本書を2021年度日本宗教学会賞にふさわしい業績であると判断する。

 

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