2020年度学会賞選考委員会報告

審査対象 下田和宣氏(京都大学非常勤講師)著『宗教史の哲学――後期ヘーゲルの迂回路』(京都大学学術出版会、2019年2月刊)

本書は、ヘーゲル晩年の宗教哲学に関する最新の研究成果を踏まえた高度に専門的なヘーゲル研究書であるとともに、そこに「宗教史の哲学」という迂回路をとった独自の宗教哲学の方向性を読みとることによって、「宗教哲学」という学問およびその実証的宗教学との関係を問い直すという作業に私たちをいざなう野心的な著作である。

ヘーゲルの『宗教哲学講義』においてはユダヤ教やイスラームはもとより、原始社会の宗教、エジプトなどオリエントの宗教から仏教や儒教にいたるまで、多種多様な宗教が哲学的考察の材料とされているが、こうしたヘーゲルの思索は従来、単に完成した哲学体系を宗教という主題に適用しただけのものと見られることが多かった。しかし、著者は1968年に刊行が開始された「歴史学的・批判的ヘーゲル全集」の新版テキストを丹念に読み込み、『精神の現象学』や『エンチュクロペディー』の「予備概念」、『論理学』から『宗教哲学講義』に至るまでの思索の道筋、さらには『宗教哲学講義』の諸講義のなかにある揺れや変化を精緻かつ丹念に読み解いていく。「哲学的思考が宗教史に向かう必然性と、そこで立ち現れる思索のあり方」を問うという著者独自の視点に導かれたこうした作業によって、本書は「〈宗教史の哲学〉として成立する思考のモデルが持つ哲学的構造」を明らかにする。

第一部では『エンチュクロペディー』における「追考」の概念が精査され、ヘーゲルが哲学を経験から遊離した抽象的思考であると非難する経験科学を意識しつつ、対象の直接的な感得ではなく対象の変化という「媒介」こそが対象の真理へ至る道であるとし、「媒介された直接性」という理念のもとでの経験科学との協調的関係性を探究していったことが明らかにされる。第二部ではヘーゲル哲学の変化に焦点が当てられ、『精神の現象学』において絶対知を頂点とする意識の経験において、宗教と宗教史が哲学に至る前段階として位置づけられていたのに対し、後期のベルリン期では精神が自己を発見するプロセスにおいて「哲学から非哲学へ」という逆の方向性への転換が生じ、そこから「宗教史の哲学」が立ち上がっていったことが跡づけられる。そして第三部では、各年度の宗教哲学講義における宗教史の叙述の変遷を辿りつつ、ヘーゲルが自由な主体性の強度の高まりを各宗教の歴史的形態の中から導き出すあり方を追跡する。そして、宗教哲学講義のなかでも特に1827年講義に焦点を当てることで、哲学的宗教史の記述が「他において自己を見出す」という精神の自己外化を完成させる営みであり、キリスト教における「精神の証言」の概念は、哲学がもはや概念への還元や逃避ではなく、歴史と文化の中で自己を見出し、証言を行う主体としてとらえられていることを明らかにしている。

こうしてヘーゲルの宗教哲学を「哲学的自己認識の文化的再文脈化」と位置づける本書は、最新の資料や研究に基づいて従来のヘーゲル像や『宗教哲学講義』をめぐる評価を刷新するだけでなく、ヘーゲル哲学が経験諸科学との関係も含めた上での19世紀における哲学の再編成を目指していたものであることを明らかにすることで、再編期における哲学と形成過程における宗教研究の関係に新しい光をあてるとともに、実証的な宗教研究にとっても新たな考察の材料となるヘーゲル理解を提示している点でも、大きな意義を有している。

もちろん、本書にも欠点がないわけではない。特定の哲学者のテキストの丹念かつ精緻な読解に基づく「内在的理解」の方法は宗教哲学研究においてはきわめsてオーソドックスなものであり、本書はその最高レベルの成果と言える一方で、かえってそのことが、専門外の宗教学研究者にはとっつきにくい記述にもつながっている。ヘーゲル独自の概念についても、ドイツ語の原語についての注記を欠くことが多く、すでに著者が解釈を加えた「訳語」のみで議論が進んでいくのも、そうした印象を与える原因になっているかもしれない。また、ヘーゲルにおける「宗教史」や「キリスト教」などの概念が今日の宗教学における一般的な概念使用とは明らかに異なるにもかかわらず、両者がどのように関わるのかについてはほとんど言及がなされておらず、本書の研究が近年の実証的宗教研究や「宗教」概念批判論などの動向にどのように関わるのかについて、その展望の一端だけでも示されていれば、との思いも禁じ得ない。

もっとも、そうした作業は、本書がもつ類いまれなポテンシャルからすれば、著者自身が現代の宗教史や宗教学の成果を吸収しつつ、異なったスタイルの宗教研究者たちとの対話を繰り返していくことで、今後必ず成し遂げられていくものであろうことが期待できる。

そうした大きな期待を抱きつつ、本審査委員会は、本書を2020年度日本宗教学会賞にふさわしい業績であると判断する。

 

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