2017年度学会賞選考委員会報告

審査対象 渡辺優氏(天理大学講師)著『ジャン=ジョゼフ・スュラン―― 一七世紀フランス神秘主義の光芒』(慶應義塾大学出版会、2016年10月刊)

 

本書は、一七世紀フランスのイエズス会士ジャン=ジョゼフ・スュランの神秘思想を主題とする。本邦ではスュランに関して、例えばミシェル・ド・セルトーの研究を介して間接的に紹介されてきたが、本書は、直接スュランの著作に当たり、これまで蓄積されてきた膨大なスュラン研究を渉猟した上で、彼の神秘思想の全貌に迫ろうとするもので、本邦における本格的なスュラン研究の嚆矢となる労作である。とりわけ、極めて難解な一次資料はもちろん、最新の研究成果を含む二次資料の緻密な読みに基づき、彼の思想の全体像が見事に再構成された上で、宗教思想史の中に位置づけられている点、第二に、それを通して、宗教的達人たちの特権的な経験を軸に捉えられてきた従来の神秘主義理解に対して根本的な再考を迫っている点が、本書の特徴となっている。

スュラン研究としての本書は、先述のセルトーをはじめとした先行研究を批判的に吟味しつつ、近世神秘主義に関してこれまで提起されてきた諸問題を丹念に検討しており、研究史において本研究が占めている位置にきわめて自覚的である。そうした研究史的な自覚に基づき、フランス近世神秘主義の思想史的意義が、スュランの生きた一七世紀の社会的・思想的文脈の中で論じられており、近世神秘主義のもつ地理的かつ内容的幅広さと豊饒さを解明することに成功している点は高く評価できよう。

本書の第二の特徴は、従来の宗教学が無自覚的に使用してきたきらいのある近代的な神秘主義概念の再検討というモチーフの下で、スュランの思想が描き出されていることである。本書は、スュランの神秘主義の特徴が「通常の信仰」の境涯に見出されるという独自の見解を提示しており、通常ならざる特殊な体験、信じるという行為と切り離された体験を本質主義的に捉え、超常体験の直接性や現前性を強調しがちであった従来の神秘主義理解を相対化し、新たな理解の可能性を追求している。通文化的かつ通時代的な現象とされ、比較研究において使用されてきた神秘主義概念は、昨今の系譜学的研究によって、宗教概念と同様、近代西洋において構築されてきたものであり、そのプロトタイプはキリスト教神秘主義であることが指摘されてきている。本書は、宗教学が用いる諸概念に関するこうした自己批判的研究の優れた一例である。同時に、本邦の神秘主義研究において傍流的な位置づけがなされてきた近世フランス神秘思想から、神秘主義理解を問い直そうとする野心的な研究であるとも言え、しかもそれを説得的に論述している筆者の力量は称賛に値する。

この点は、今日の脱宗教的な時代状況に対して本書が提起している重要な問いとも関連している。本書は、言葉を紡ぎ出さざるを得ないという神秘家が置かれた状況を、イエスの昇天による神の現前体験の喪失に起因するとし、言葉の紡ぎ出しを不在の神との新たな関係構築として捉え、そこに信仰の地平の成立を看て取る。そして、神の不在の証言と一体であるような「赤裸な信仰」に神秘主義の核心を見出し、この不在を通して、体験の特権性から隔てられた普通の人々の間に成立する共同体の意義が説かれている。この点は、日常的実践者であろうとした宗教者セルトーの関心とも重なり、今日の脱宗教的な時代状況において、単なる復古的な宗教回帰とは異なる仕方でわたしたちを生かし得る「宗教的なもの」のあり方を探ろうとする本書の独創的な点と言えよう。

しかし本書には問題を感じさせる箇所がないわけではない。膨大な一次資料・二次資料の精緻な読みと豊富な引用に基づく論述が、ややもすると、先行研究で提示されているスュラン像を批判するために行われているきらいがある。また、信仰と神秘主義との関係についても、ときおり歯切れの悪さを感じさせる箇所もある。これらの点は、異なる立場や解釈の可能性を十分に考慮に入れた考察になっておらず、特定のキリスト教理解や神学理解に立つ先行研究のスュラン像に依拠し過ぎていることから来ている。さらに、従来の神秘主義理解の問題点を論じるのであれば、概念史的な整理、特に神秘神学、神秘思想といった諸概念との関係で神秘主義を捉え直すことも必要であっただろう。

しかしながら、これらの点は、本邦におけるスュラン研究の嚆矢、フランス近世神秘主義の宗教思想史的位置づけの試み、宗教学的な神秘主義理解の抜本的再検討、という本書の意義を大きく損なうものではない。本書は、西洋宗教思想史研究と宗教学にとってきわめて魅力的な新しい視座を提供するものであり、高度な研究書でありながらも読者を惹きつける熱のこもった書物になっていることには変わりはない。

以上から、本委員会は、本書を2017年度日本宗教学会賞にふさわしい業績であると判断する。

 

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