2013年度選考委員会報告(2)

審査対象 奥山史亮氏(日本学術振興会特別研究員)著『エリアーデの思想と亡命──クリアーヌとの関係において』(北海道大学出版会、2012年9月刊)

 本書は世界的な宗教学者であり、宗教学説史にも重要な足跡を残しているミルチャ・エリアーデの宗教理論を、ルーマニア人亡命者としてのあり方との関連において解釈しようとするものである。

 エリアーデは、1940年に在ロンドンのルーマニア公使館の文化担当官に任命され、祖国をあとにしたが、その後、1945年にルーマニアがソビエトの支配下に入ると、パリに亡命し、亡命生活を強いられている。彼が『永遠回帰の神話』などを著し、宗教学者としての地位を確立したのはこの時期である。

 エリアーデの宗教理論を支える宗教概念には、普遍主義的、本質主義的な分析スタイルと傾向が顕著である。この点は、彼が戦時中から戦後にかけてルーマニアの反ユダヤ及び親ナチ的な民族主義運動である「鉄衛団」を支持していたのではないかという疑いと相俟って、大きな批判を呼び起こしてきた。本書は、そうした批判に対する一つの答えと位置づけられる。

 本書は三部構成となっている。第Ⅰ部はエリアーデ宗教学と亡命者であるエリアーデの思想活動に着目したもので、第Ⅱ部では、エリアーデの文学創作活動を亡命者としての政治的問題意識との関連において考察する。第Ⅲ部では、エリアーデの宗教理論や文学作品のみならず亡命組織における活動を熟知し、重要な役割をになうクリア―ヌとの交流に着目する。

 本書が資料として用いているのは、エリアーデがルーマニア語で執筆した資料、すなわちルーマニア亡命組織の機関誌に掲載された論説、書簡等である。エリアーデに関する研究は、わが国においては1970年代ころから急速に発展し、宗教学のなかでももっとも活発な領域のひとつとなったが、これまで研究対象とされてきたのは、エリアーデの宗教理論に関するフランス語文献や英語文献であり、エリアーデがルーマニア語で執筆した資料に関しては、まったくといってよいほど研究がなされてこなかった。この点を考えると、ルーマニア語資料を用いた本研究の意義は大きいと言えよう。

 こうした資料を用いることによって、たとえば、エリアーデ宗教学の諸概念である「歴史の恐怖」はソビエトによるルーマニア占領とルーマニア文化の破壊を念頭においたものであり、「普遍的キリスト教」「遊牧民的宗教」といった諸概念が、ルーマニア人亡命者たちに対して偏狭な民族主義におちることを誡める批判的概念として提示されたことなどが明らかにされる。つまり、エリアーデ宗教学とは、ルーマニア人亡命者を受取手と措定した政治性を帯びた言論体系であったという主張がなされる。

このようにエリアーデを、ルーマニア出身の亡命思想家ととらえ、思想が育まれた「生活の座」を描き出すことによって、エリアーデの宗教理論の歴史的意義を解明しようとした本書は、エリアーデという思想家の等身大の姿を描き出すとともに、普遍的宗教理論の持つ歴史的被拘束性を明らかにする。また、本書は、ソビエトという反宗教を標榜する社会主義国家の出現と周辺国家が自己の民族性を守ろうとして対抗した時代の問題性を改めて浮き彫りにしたことによって、宗教学が本来、対象とすべき領域としての国家と宗教、民族性と普遍性といった問題に気づかせてくれた功績も忘れてはならないだろう。

 とはいえ、本書に批判的なコメントがなされないわけではない。第一章では『宗教学概論』について執筆当時のポルトガルでの日記と比較しているが、この著作がルーマニアの当時の状況とどのような関わりにあるのかは実証されたとは言い難い。『永劫回帰の神話』についての議論には説得力があるが、『宗教学概論』にまで同じものを求めるのはいささか無理があるとの印象を残す。また、政治思想という背景が重視され過ぎたきらいがあり、宗教概念そのものの分析の比重が軽く、エリアーデとの違いが強調されたクリアーヌの「システム」概念についてもさらに考察すべき課題が残されている。

 しかしながら、こうした批判はさらなる研究の発展を期待するがためのものであり、本書の価値を減ずるものではまったくない。ルーマニア語の資料を読解し、エリアーデの亡命者としての罪責意識や政治的思想を抽出することによって、それが宗教研究や文学創作の原動力となったことを明らかにした画期的な研究であり、本委員会は、本書を2013年度日本宗教学会賞にふさわしい業績であると判断する。


 

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