2024年度学会賞選考委員会報告
審査対象 藤井修平氏(東京家政大学非常勤講師)著『科学で宗教が解明できるか──進化生物学・認知科学に基づく宗教理論の誕生』(勁草書房 2023年1月刊)
本書は進化生物学や認知科学を中心に、いわゆる自然科学の知見を用いた近年の主に欧米での宗教研究の動向を紹介し論じたものである。内容的には、エリアーデ批判以降の特にモダニスト的な継承者からの進化生物学や認知科学的宗教理論への接続(第1章)、進化論の影響を受けた社会生物学や進化生物学に依拠した宗教理論(第2章)、人類学などから科学性を標榜することで派生した「宗教認知科学」(Cognitive Science of Religion: CSR)の成立過程(第3章)、普遍主義/個別主義、説明/解釈、還元主義/非還元主義などの科学的宗教理論の諸論点(第4章)、ドーキンスや暴露論証などのナチュラリズム的な科学的宗教理論における反宗教思想(第5章)、グールドやニューバーグ、CSR自身などに見られる科学と共存する宗教思想(第6章)といった、近年の自然科学的な宗教理論の様々な論点を丁寧に論じている。
議論の射程は科学対宗教という単一の構図内にはとどまらず、宗教の側が持つ社会的、政治的文脈性を踏まえた宗教の非特権視や、反対に宗教をその原因から説明するかに見える科学の側が持つ社会的文脈性にも触れられている。そこで科学的見地から宗教を合理化する心理学的、医学的言説や、反対に反宗教という科学思想のイデオロギー性にも言及される。また本書は、宗教認知科学といった本邦ではまだ研究者の多くない領域を扱っている単行本であるため、専門分野以外の読者に向けた配慮として、文献案内や用語解説が挿入されている点が特徴的である。
このように本書の評価すべき点として、第一に、宗教認知科学の重要性と可能性を、日本の宗教学界に対して主張しようと試みた意欲的な研究である点が挙げられる。日本語での先行研究の少なさを鑑みて、欧米の宗教学の学説史の広範な流れの中における認知宗教学の位置取りを網羅的な文献レヴューに基づいて明らかにしようとする姿勢には、若手宗教研究者に必要とされる国際性と理論的な探求心のロールモデルたる資質が認められる。第二に、このような科学的宗教理論を単一の視点から肯定したり否定したりすることなく、その十全な理解を目指し、多様な視点から方法論、思想、社会的変化を明らかにする目的を設定している点も評価される。欧米の主要な論者の研究、発言を隅々まで取り上げ、認知宗教学の研究動向と問題点の全体を分かりやすくまとめており、日本における宗教認知科学に関するはじめての入門書としても期待される。
他方で、本書には次のような問題点も見出される。第一に、上記のような総評的な説明ゆえに、議論としての深みがどの程度あったかという疑問が残る。具体的な宗教現象の解明に取り組んでいるという形跡が見られないため、欧米の議論の紹介が初歩的なレベルで留まり、自らの研究方法、視点の深化へと結びつく議論が欠けている。第二に、日本においてこの分野を広く展開させるためには、欧米の理論紹介にとどまらず、日本の現在位置を示すために紙幅を割く必要がある。宗教認知科学がなぜ欧米の研究者にとってはニーズがあり、日本ではそのニーズが顕在化しなかったのかという分析もない。ヨーロッパにおける「神の存在証明」以来の「科学的方法」の歴史と、「自然科学の知見を用いて宗教現象を解明する」といった、宗教の「原因」解明の試みとのつながり、特に「効用自然神学」とのつながりの考察などがさらに求められる。著者独自の日本の宗教認知科学を構築するために、今後はこの入門的な著作では明らかにされなかった日本の宗教研究の文脈における独創的な解釈・分析が望まれる。第三に、本書で取り上げる「科学的」とはいかなる意味での科学なのかについての議論がほとんどなされていない点については、人文系の研究書としては不十分さが残る。実際、宗教的信念の形成における脳神経科学的な還元的説明に関しても、筆者は心の哲学における心理現象の自然化を、CSRとは異なった性質の方法として分類するだけで、その真理性の根拠についての判断を避けている。こうしたほぼイデオロギー抜きで記述可能な、観察と再現性に直接結びつく科学言語に対してどのような態度をとるかを明示しなくては、本書のタイトルである「科学で宗教が解明できるか」という問いへの回答の呈示とは言い難い。確かに「説明」が自然科学、「理解」がその他という二分法の不可能性を筆者は述べるが、「説明」と「理解」との配分は科学的言説の種類によって程度が異なり、それを個別事例の分析によって見極めることが科学的説明の理解には不可欠である。科学にせよ宗教にせよ、言説一般がイデオロギーから免れないことはすでに理論負荷性の議論で頻繁に扱われており、本書はその類の科学批判を出るものではない。
本書はこうした課題があるものの、宗教認知科学や科学的宗教理論の基本的研究動向を紹介した意欲的な著作であり、著者の研究者としての力量を十分に発揮した研究書として高く評価できる。このような観点から、本選考委員会は、本書を2024年度日本宗教学会賞にふさわしい業績であると判断する。