2009年度選考委員会報告

2009年度学会賞選考委員会報告
審査対象 長谷千代子氏(南山宗教文化研究所非常勤研究員)著『文化の政治と生活の詩学――中国雲南省徳宏タイ族の日常的実践』(風響社、2007年12月刊)
 
 長谷氏による著書は、中国政府が創出しかつ公認するさまざまな文化や習慣に関わるカテゴリーと中国雲南省に住む少数民族である徳宏タイ族による諸実践とが、どのような動態的な関係にあるのかを明らかにしようとしたものである。断続的ではあるが、およそ二年をかけて行われた長期の調査に基づく仏教儀礼や守護霊祭祀に関する丹念な記述は、上記の問題意識と密接に結びついていて、本書が極めて慎重な考察と推敲を重ねたモノグラフであることが分かる。本書の主たる方法であるフィールドワークと現地語の文献を含む資料分析は、実証的かつ包括的で、きわめて完成度の高い著作となっている。構成も分かりやすく、各章の議論も明晰である。本書の理論的関心や問題意識、その方法論は、宗教学の分野にとどまらず、文化人類学、中国社会研究、マイノリティ研究などの分野にも大きな影響を与えることであろう。
 内容について
 長谷氏は、「文化」に関わる近代的な言説の制度が人々の生活を再編しつつ、それ自身変容していく様子を描くことを本書の目的として位置づけている。ここでの近代的言説とは、「文化」をめぐる価値のヒエラルキー、公的な「民族伝統文化」や近代合理主義的な「科学と文明」、さらに「中華民族」を指す。著者は、これらの言説に対する徳宏タイ族によって下からなされる応答に注目し、「文化」と生活の再編をめぐる上からと下からのせめぎあいの過程を分析しようとしている。
 具体的に紹介すると、本書は、先行研究を批判的に検討する序章に続き、四○年代から現代に至るまでの「水かけ祭り」を、ことに政治的言説の推移とともに追跡した第二章、現代中国において特異な意味を与えられた「宗教」概念と、積善徳行と死者供養の意義を併せ持つ「ポイ・パラ」をめぐる実践を分析することによって、両者のずれを明らかにした第三章、「宗教」、「風俗習慣」、「民族伝統文化」という制度的語彙に規定された現代史において、その所在が浮動する「仏の教え」を論じた第四章、「ムアン・ホアン」や「関公廟」を主たる対象として漢族と徳宏タイ族のそれぞれにあらわれる「神々」、「参拝」、「迷信」を扱う第五章、以上の考察を「文化の再編」と「生活の詩学」という立場から総括する第六章からなる。なお、タイトルにも使われている詩学とは、中国政府の「文化」政策に柔軟に対応しながら、文化を創造し、自分たちの都合に合わせて文化の要素を組み替える実践を意味する。
 本書の意義
 以上の長谷氏の議論は、以下の三点において意義がある。まず、中国という社会主義国家における「宗教」をめぐる言説空間を明確に描き出しており、この試みは、近代化における宗教に焦点を当てる「世俗化・私事化」に関する諸研究に貢献するであろう。つぎに、中国におけるマイノリティの宗教実践をめぐる民族誌としてきわめて重要である点を指摘したい。中国南部の少数民族については、日本の研究者を中心にかなりの研究の蓄積があるが、本書のような大部の民族誌はまだ数が少ない。本書は日本における中国の少数民族研究の貴重な成果の一つと言えよう。氏は、少数民族の文化を孤立してとらえることを避け、中国政府の政策や漢族との関係を視野に入れている。政府対民衆、漢族対タイ族、といった二元論的図式を避け、また、これまでこの種の研究にしばしば用いられてきた抵抗という概念については一面的であると批判している。民衆の多様な応答の動態を記述しようとしているところは新たな研究方向を示唆するものとして意義深い。最後に指摘したいのは本書の方法の独創性である。本書は、宗教概念をめぐる系譜分析や言説分析を主題とする、宗教学における最近の研究動向と密接に関係していると考えられる。なかんずく本書は、欧米や日本、あるいはインドなどではなく、社会主義国家中国という新たな文脈において、たんなる言説分析にとどまらず、フィールドワークの成果を取り入れることで、きわめて独創性の高い成果を上げることになった。言説分析とフィールドワークの手法を取り入れた本書の方法は、宗教学以外の関連諸分野においても大きな影響を及ぼすことになろう。
 もとより、本書にも問題がないわけではない。例えば、本書が対象とする民衆的実践は、その言葉が含意する広がりを考慮すると、あくまで宗教的行事に限定されて論じられており、生活一般を対象にしているとは言えない。これに加え、「詩学」についても、魅力ある概念であるだけに、議論をさらに深める必要が求められる。もちろん、こうした指摘は、氏の今後の研究課題に属すべき事柄と言うべきであり、この作品の価値や宗教研究としての意義を何ら損なうものではない。
 以上のような諸点を総合的に勘案するならば、本書は理論的考察と資料的価値を兼ね備えたものであり、本委員会は2009年度日本宗教学会賞にふさわしい業績であると判断する。



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